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2025年5月13日火曜日

2025年の母の日

In thought on Mother's Day

今年の母の日は三人の子供たちからの感謝の気持ちが、シンプルさと明瞭さが際立つ大変ほっこりした形で届いた。彼らにとって本当に感謝される母親であっただろうかと、いつもこの日になるとふり返ってしまう。だが、彼らは、こういった形で私を励まし続けて来てくれた。別名、天然キャラクターの私を時には笑い、年の割には俊敏な行動をやってのけるのに感心し、次から次とスケジュールをこなしているように見える私を褒めてくれている。彼等の誉め言葉に乗じてますます活発に前へ歩こうとする自分がいるのも事実。どこかに、非があってもあえてそれを掘り出すことをしない彼らは、余程、私より人間的に上だとつくづく思う。それでいいのかも。親がいつまでも親ぶって親目線で対峙するのは良くない。彼等はもう成人した子供を筆頭に、子育てに奮闘してきている。その過程で、いろいろ賛否を含めて、親から学んで来た部分もあろう。毎年、5月第二日曜日は、一つの節目として、子供たちは母親を特別に思い、母親は子供達を特別に思う日であり続けることだろう。来年も元気な姿でこの節目に巡り合いたいものである。

This year's "Mother's Day" brought me a special feeling I've never experienced before. Our three children sent me a cute, humorous gift to show their appreciation together as our children's group to their mother, not three gifts one each but one charming gift uniting their hearts. Their warm thank you hearts were combined in one special gift which effectively ended surprising and moving me. They know I still miss my dear Mi-chan, a sweet cat, gone into the woods next to our yard since 13 years ago.  Mi-chan showed up with a box of Bunmeido's Dorayaki. They appreciate me for my mother duty up until now but it's me in return to appreciate our children who have been practicing their parent-hood very hard and building up their families so as to be heartful, clever and healthy.

I wish we keep exchanging this heartful feeling on this special day as a moment of thinking about our parent-hood love for ever.

2025年5月6日火曜日

2025年のGW

 今年のGWは前半、後半と二つに分断された格好ながら、間で有給をとって長い休みにした人も多いらしい。私たちは関係なく、えっ?今、そんな時期?っていう感じながらも、娘達が恒例の山内先生の生徒さん達の発表コンサートに出場するというので、4日、夫と町田に近い会場である鶴川のポリプホールへ出かけた。午後1時開場というから、ゆっくり出かけようと7:57分のローカルで行く予定を立てた。

毎日のウオーキングに命をかける私の希望で、6:35に出発して夫をまず下今市駅までキャリアバッグともども運び、私はUターンして帰宅。車を置いて、徒歩で再度徒歩で駅へ。好天気の中、普通より一寸速いテンポで公園を横切り(公園内ショートカットできる道を発見)、いつもの田植えを終えた美しい田園を愛でながら上今市駅へ。到着したのが電車がくる30分前。7時53分発の電車。上今市駅のホームには椅子が無い。30分立ちんぼうは予定外だった。下今市駅では夫がしびれをきらしていたようで、「もう、こんなことは止めよう。あほらしい。眠い、」と不満たらたら。試しにやってみようということでやった以上、これはこれとして笑って受け入れたいもの。ここまではいつもの調子とそのまま流すことに。

ところが、今回は私に異変が。今朝は家を出る前に爽やかなBMを経て、爽快な一日のスタートであった筈が、電車の中で又、お腹がトイレを探す。上今市で待っていた時も少々感じていたが万が一電車をミスるといけないと我慢したところである。車内にはトイレは無い。no way! とりあえず南栗橋まで我慢。こういう経験には理解出来る夫は南栗橋の事情を周知で潔くトイレを案内してくれた。これが今日のBM二回目。😥。乗り換えの電車にも一台遅れただけでスムースに進行。ところが北千住で第二派が襲った。一回目、二回目同様立派なBM。これえが三回目。千代田線に乗り換え、新百合で乗り換え目的地の鶴川駅に到着。ポリプホールへは駅からすぐのところ。いろいろハプニングはあったが時間的には丁度良く、目的地への途中でむしろ余裕をもって昼食を取ることが出来た。そして会場へ。地下3Fを上階3Fと間違えて、それでも気づかず、人の気配が無いと感じつつも、待ち時間に更にone more time。4回目が来た。これも問題なく出来たが、それにしても下痢でもなく、腹痛があるわけでもなく、快いBMが立て続けに4回も襲うとは。一体私の中で生まれて初めての経験。それでいて、スッキリ感が無いというのもおかしいな事。不思議な感じであった。

上階で待っているとき、ある夫人が私達のことを覚えていたのか(昨年も来ている)、コンサートでしたら、地下ですよと。珍道中は目的地にたどりつくまで続いた。

さて、楽しみにしていた目的の娘たちのパフォーマンスは見事であった。姉妹が本当に仲良く、励まし合い、協力し合っている様子が一番嬉しい。妹の方が音楽に関しては積極的で姉を引き込み、持病を持つ姉をいたわり、尊敬し、励ます姿にはいつも感謝するばかり。姉もそういう妹を尊敬している。趣味が音楽というのが力になり、そのエネルギーになっているのだろう。親としては本当に感謝するしかない。そして、私達親もコーラスに励んだりしているので、彼女達とも息があう。ありがたい家族である。

長女のピアノ独奏【愛の夢】は長年弾いてきた曲ではあるが、今回ほど、出来上がった演奏は無い。落ち着いた優しい出だしから、流れるような感情の流れ、そして、サビ、大サビのあの盛り上がりへとメロディーが移る時の指の使い方、上半身の揺れ、全体的に目にも耳のも素晴らしい出来栄えだったと思う。リハーサルでは大変間違いだらけだったと反省していたが、微塵にもそれは感じられなかった。人前でのパフォーマンスは人間形成の上でも大きな力になっていくことと思う。

そして妹のソロ歌唱も大分磨かれてきていると思った。【You raise me up 】を美しく歌い上げてクレア。今までのポップスの歌い方と異なってきている。山内先生の指導を受けて、ボーカリストというより、正確に美しく歌えるシンガーとして体の奥からの声の出し方を指導して貰っているからだという。舞台には慣れているのが強みでもある。8月にはライブに誘われているというから又楽しみである。二人とも長男が今春大学に晴れて進み、親も大いに羽ばたいて欲しい。

夜は長女の所で打ち上げか晩餐会。多摩からムナさんもコンサートに来てくれて、そのまま一緒に。長女のお舅、姑さんにも会えて、一同、明るい空気の中で楽しい晩餐会となった。日光から採りたてのタラの芽を沢山持参してきたので、メインのマグロのステーキに山菜の天ぷらも加わって、豪華な晩餐となった。みんな、大喜びで興じた夕べとなった。ペットの茶々丸君も健在。皆のほっこりペットである。

というわけで、4日は珍道中と素晴らしいコンサートに参加、更に、楽しい夕べで締めた充実した一日であった。 多謝




2025年4月20日日曜日

4月、桜で彩取られた季節は入学式のラッシュ

 4月は実質新しい年の始まり。桜が輝く素晴らしいタイミングに学校も花が開く時。2025年は孫達5人が進学した。No1,Noは大学へ。No3,No4,No5は中学へ。3月末にスケジュールを工面して彼等が我が家にやってきた時、孫の心身ともにの成長ぶりには驚いた。もう新中学生でも見上げるほどに大きくなっている。その彼らがいよいよ新しい環境に突入。夢を抱いて、希望を持って、新しい意欲を持って進んで欲しいと切に願う。そして、心の通う新しい友達との出会いが沢山ありますように。


今年は桜の季節の到来が例年より遅かったが、一端咲き始めるとあれよあれよという間に辺りは明るく輝き始めた。見事と言うしかない。小さい苗から10年前に植えた我が家の桜も開花。4,5年前に息子が贈ってくれたソメイヨシノも今年は十数個花を咲かせてくれた。散歩コースの松原公園の桜はスケールは大きくは無いが見応えがある。毎年同じ時期に新たな感動を与えてくれる。日光に移り住んで19年。現役を終えて新たな命をく
れた環境というには一寸大げさかも知れないが、いろいろ心を解して前を向かせてくれてきたことは確か。いつも感謝したくなる時節である。そして桜を愛でながらのゴルフも最高であることを付記しておきたい。

さて、4月19日、1986年に創設された東京川本会総会に2年振りで参加。場所はいつもの国際フォーラムの7F「東天紅」。知っている方は数人しかいないものの、テーブルについて話し

合っているうちに遠い昔に行ってしまった川本が少しづつ蘇ってくる。話してみると、どうも私が最長老のような気がしている。旧川本高校を私が卒業した後に生まれたという成年軍も。川本町からわざわざ見えた新しい町長さんも私の子供の世代。世代交代は当然ながら明らかである。しかし、今回は1986年の創設時に副会長だった中村氏(広島工業大学名誉教授)と初めてお会いしてお話ししていたら、高校は浜田高校に行かれて
そこから京大工学部に入られた由。年齢をたどると私より2年後輩のよう。それぞれの道を切り開いて長い人生を歩み、そのキャリアの出発点でこうして先輩後輩が出会える機会に恵まれたということ、奇跡である。2年前には同じ川本高校の同級生だった柿谷さんに卒業後初めてお会いしたがその時も同じ驚きがあった。このことは2年前のブログに書いた記憶がある。人生いろいろ。長い年月の中でいろいろな経験を積み重ね、いろいろな人間が形成されて、いろいろな人生を築き上げている。出来れば当時の先生にお会いしたとつくづく思う。

今回の若い町長さんのプレゼンと唯一の医療機関を担っておられる加藤病院院長さんのプレゼンはエネルギーに溢れて、発信力があり、素晴らしいものであった。

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世代交代が見えた総会。両親、祖父母が川本人間でその子孫がメンバーとして入ってきて会が存続していくこと実感。川本町は当時は人口が1万以上は居たと思うが、今や3千人を切って消滅地域になっている由。でも新しい町長が参加されて川本再開発のプラン、近況報告のプレゼンは素晴らしいものでした。女子野球チーム「島根フィルティーズ」を立ち上げ、全国大会にも出て活躍し始め、注目を集めている由。NHKでも取り上げられて5月7日17:30すぎに放映されるそう。

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その後、有楽町から銀座4丁目まで暑い中(この日は真夏日でした)、徒歩で益子在住の陶芸家由記子さんの従姉弟共同展に行って来ました。従姉妹さん10人が結集して、陶、彩、写、造形、版画などのファミリー展で血縁(DNA)の凄さを味わってきました。大勢いる従姉弟さんの半分はこういった創作が趣味なんだそう。それもプロの域にある趣味の活動というから驚きます。 中でも面白いと思ったのが字が版画になっていて、蠅とバナナの絵がかいてある下に英語でこのような文言がありました。Time flies like an arrow, Fruit flies like a banana. fliesとlikeのwordを関連付けた冗句です。

今回は上京して二つのスケジュールをこなし、少々疲れました。

2025年3月29日土曜日

3月後半は大忙し

 〇先ず、15日(土)夫の誘いに乗って宇都宮から中国人留学生3人が日帰りでスキーに日光へ。駅まで夫が迎えに行って、そのまま鬼怒川温泉のシャトルバス停留場まで直行。そこからバスでエーデルバイスへ。5時前に我が家に到着。カレーを食べて貰って7時過ぎの電車で宇都宮へ帰って行った。初めて雪を見た学生もいる。中国人は雪への憧れがあるらしい。皆、楽しかったと異口同音に言う。ただ、今回はその後夜遅くになって、一人から家の鍵をスキー場で紛失したとの連絡が。その日はどうすることも出来ず、翌日、スキー場に連絡したら、スキー用具レンタル場にあったという。彼は、我々に遠慮してか、自分で電車で鬼怒川まで行き、そこから、スキー場まで歩いて行った由。驚いた。帰りは運よくシャトルバスに乗せて貰えたそうだが、3時間はかかったに違いない。初めてのスキーに加えて、大変な経験をしたことになる。鍵がレンタル場で見つかったのは本当にラッキーというしかない。もし、ゲレンデで無くしていたら、是帯に見つからなかっただろう。

〇そして翌週末には正成が4年振りで帰省した。2021年のGWを最後に、今まで内に秘めていた不満が大爆発をしてしばらく無縁状態に。しかし、内情は二人とも病気に因があったと理解。彼は我々とお嫁さんの間に合って、うまく立ち回ることが出来なかった。普通に、自然体のままで我々は一貫してきた。責めも折れもせず。毅然と。自然体のままでしかやってられない自分にずっと向き合って自問自答してきたが、今回、彼が良く勇気を出して一人ではあったがよく我々の所に戻ってきてくれたと半分安堵。彼の長女孫No3が希望の中学を受験して無事合格したことが親の気持ちをほぐし、安堵させたことが大きい。孫達もそれなりに成長してきていて親の状況を感じ取り、心を痛めているに違いないが、いずれ、又良い時が来ることを信じている。まだ、そっとしておく時間が必要であるし、こういったことは時間がかかることだろう。ただ、親が逝った後にならないことを願う。

〇続いて、23日(日)の夕方には東大生3人(ミヤンマー人、日本人2人)が来訪。日光駅からレンタカーでやってきて、翌日は夫と共に、免許とりたての松本君が勇敢にも運転してエーデルバイスへ。好天気下で松本君意外の二人は人生初滑りに挑戦。彼等は優秀で真面目な学生揃い。少なくとも私の大学生時代とは雰囲気が大違い。将来を見据えて勉学に勤しむ若者だ。とにかく、夫のエネルギッシュな誘導で文武両道に励む姿勢が見えた。しかも3人ともイケメン揃い。ミヤンマーのモーチャン(名前が可愛い。ニックネームではないのだ)は横浜出身。日本生まれで国籍も日本人。親はミヤンマー人。ミヤンマー語も話す。松本欧介君は千葉出身で何回も我が家を訪れている常連大学生。今度3年生だが、2年の時に既に国家公務員試験に受かっている。外交官を目指しているとのこと。もう一人は土田君。多摩地区の学生で野球が強い福島の聖光学院と同じ名前の東京にある私立の進学校出身。とにかく、皆良く話す。刺激を与えられて、この年で、どう反応したらよいか。羨ましいとも思う。

〇そして26日からは娘たちの家族が一部重なりながらやってきた。町田組も市川組も今春から孫、No1とNo2が新大学生に。一人は東北大の宇宙工学部へ。もう一人は成城高校からそのまま大学へ進級。さらにNo2の妹孫No4は受験して青山中学に進学。かなりの難関で、小3からサピックスに通っていた。厳しい塾。良く通い続けられたと親も白状。相当親子で厳しい時期を乗り越えたことが今回話をしてよくわかった。自分自身の経験を思い出しながらも、時代の移り変わりから状況も大分異なり、今の幼い子供たちはだんだん大変な世界に押し込められてきていることを嘆かずにはいられない。でも、負けてはならない。それも、長い人生の節目で、必要な試練となり、かならず、将来役に立つことがあると信じたい。

娘はありがたい。優しいし、心配りが出来る。私たちの今後のことを心配してくれていることもわかる。具体的な話は出来ていないが、お互いに、心の中に、これからの事はしっかり話し合うべきという共通認識は確認出来た。次女は彼女の長男を今回大学進学のため、仙台に行かせたが、日光の我が家で家族が集合してお祝いのフィーストをやり、賑やかに語り、一晩寝食を共にして、孫No1を皆で父親が運転する車で仙台に向かうのを見送ることが出来た。華やかに、一寸淋しく、でも、元気よくエールを送りながら送り出すことが出来た。娘は寂しいさがこみ上げているようだったが、まだ、下に次男(新中学生)、小2になる里子ちゃんいる。待ったなして現実の生活が待っている。一つの大きな節目をみんなでシェア出来たことを大変喜んでいた。


2025年3月15日土曜日

3月7日(金)Lunch at Tango nearby the temporary Norwegian Embassy

 

3月7日(金)小春日和に恵まれた今日の良き日になつかしい東京タワーの目の前のTangoというレストランへ。前日には日仏文化協会汐留ホールにて現代のノルウェーが誇るピアニストChristian Grovlen が初来日した機会に、彼のピアノコンサートが開催され、2月の日光清風塾が主催した【ノウェー大使とともに冬の日光を楽しもう】大イベントの流れで、Iglum大使よりグリーグ協会へのお声かけで、私達もこのコンサートに招かれ、久しぶりでこの汐留ホールに向かった。以前、紘平君のコンサートの時に迷いに迷って1時間近く遅れて到着したトラウマが今回も襲った。かなり時間の余裕を見て出かけたものの、結局ジャストインタイム状態。それでも遅れなかったことは不幸中の幸い。

Grovlen氏のピアノは凄かった。繊細で、パワフルなタッチ、特に和音の響きが素晴らしかった。氏は、Edvard Grieg Museum "Troldhaugen"のDirector であり、Grieg International Piano CompetitionのDirectorでもあり、まだ50代に見える新鋭鬼才。お人柄も穏やかそうで今後注目したいピアニストであった。Grieg の抒情小品集第8集作品65「トロルハウゲンの婚礼の日」は圧巻だった。(なじみのメロディーは親しみ易い)

そして翌日の7日、多摩からそぞろ歩きでランチの約束のTangoへ。好天気に恵まれて、多摩からは富士山が美しく眺められた。そして目的地の最寄り駅、神谷町の駅から地上に」出たら、」早咲きの河津桜が見事に開花していたのに出くわした。当然ながら道行く人はスマホをかざす。さて、Tangoレストランは目下ノルウェーの臨時大使館の並びに合って大変わかりやすかった。本来の大使館は六本木の筈。リニューアルをしている最中とのこと。このレストランは立地条件が良い。ロビーには本物の開花した桜の大きな枝が飾られていた。Iglum大使とノルウェー商工会議所の幹部のLarchlen氏と我々の4人の会食。Iglum大使はしきりに日光での我々のおもてなしと企画のお礼を重ねられ、来年はクロカン大会を盛大にやりましょうという話に。Larchlen氏も企画を早く立てて、早めの周知が必要ということをしきりに強調されていた。ノルウェー人はもれなくスキーヤーである。出だしを遅れないよう、しっかり計画を立てなくてはならない。楽しみである。

食後は1970年の大阪万博の時、カナダ大使館から大使秘書だったブシャードさんが定年退職のおり、大使館からのお礼として日本を訪問する機会を得、我々が東京を案内したことがある。もう半世紀以上前になる。その後、JICAのコーディネーターの仕事で研修員を引率してきたことがあるが、東京タワーは何せ久しぶりだったので夫と二人で登って見た。観光客は多い。広くて大きくて高いスカイツリーよりこちらが好感が持てる気がする。ゆっくり一時を過ごし、帰路につぃた。普段とは異なるスケジュールに、体も少々疲れたが、南栗橋から乗ったローカル線に思わず笑顔が。栃木のいちごのPR電車に乗ったのであった。ベーリーグッドトレイン❣

2025年3月4日火曜日

3月2日(日)水を得た魚はピチピチ輝いていました。

 3月2日(日)初ライブを決行!

次女は小さい時から歌が好きで、椅子の上であろうと、テーブルの上であろうと、歌が歌える雰囲気になると進み出て歌って踊っていた三つ子の魂はやはり健在であった。大学に進む頃も歌の道を選びそうになったこともあったが、いろいろな事情で音楽を前に出す道は断念。普通に社会人になり、結婚し、子育てをやり、長男の大学進学が決定し、次男はそのまま中学へ進学するタイミングで、ついに外に向かって歌を歌いたいという願望の突破口がこの初ライブという形で実現した。英語のカバー曲、ウイットに―ヒューストン、カーペンターズなどの歌が歌えて作詞作曲もやる。シンガーソングライターの域にも入っている。人前でのパフォーマンスも慣れている。これは我が家での接宴の時の経験が生かされている。というわけで、今回の初ライブを手掛けるにあたり、企画、仲間の召集(これはこの数年、コロナの時期からナナという音楽アプリを見つけ、そのサイトでコラボ仲間を増やしてついに顔が見える仲間として同志が一堂に集結)、準備、運営、と一手に手掛けた。こまかい気遣いもある。姉をピアノ担当して引き込み、アシスタント的というより相談相手になって貰っている。何より、仲間達とも楽しく、笑いの中で進行し、まさに親交を深めていることに好感が持てる。親としても感動させられウルウル状態になってしまう程の明るさ、爽やかさがあった。2日間のプログラムであった。最初は職場仲間(英語教師仲間)を迎え、二日目は一般を迎えて。口コミでの案内。これが段々周知されて輪が広がって歌声が響き渡ることを願いながら、余韻を楽しみながら帰路についた。お天気も春のような陽気に恵まれ、私自身、地元での大きなイベントを終えてストレスから解放されたところだったので、最高の一日となった。




2025年2月24日月曜日

【ノルウェー大使とともに冬の日光を楽しもう】

 2025年2月22日(土)、23日(日)

正味1か月が準備期間となったこの大イベントがここまで盛り上がる結果になるとは当初の不安と心配だった状況を考えると、天と地のこの違いに、この達成感と安堵感は正に神さまからの贈り物だったのだろう。神棚に祈ることを毎日思いながらも、体を使って動き回ることに気をとられて、本当に神棚に向かって手を合わせて祈ったのは1回だけ。でも、心身が祈りを続け、走り回ったことが真の祈りとなり、集中して作業が出来たことが全てを語るといえる。京都下賀茂の河合神社のお札(夫が京都で十数年前に散策する機会があった時、偶然この神社を見つけ、名前にあやかって我が家の神棚に祭っている)が我々を見守ってくれたような気がする。

回の作業で見えた事。それは関係者間の進捗状況の共有である。夫のイニシャチブで始まったこの企画はその大目標の達成という責任感が全てを動かした。今までもそうであったように、これまでの多くの企画をプレッシャーとストレスを抱えながらも乗り越えては、頑張ってやって良かった!という思いの繰り返しであった。一緒に動いて下さった方々との間にあって私の役目は夫の目標へのサポート作業であり、その潤滑油を塗った橋渡しになることであり、今回はめげずにそれが機能したのだろう。同じ方向を向いた仲間の団結が力を発揮した結果、大輪の花が咲いたと言える。

さて、本番当日の歓迎コンサートとノルウェー大使の講演。一番緊張が高まる日であったが、まず、事前の昼食会で初めてお会いして、そのやさしい、快活なお人柄に触れて、その緊張感は和らいだ。同伴された令嬢、オスロ大学のマスターコース2年目で修士論文を作成中だという。今回も作成中の論文を抱えての東京に赴任している両親を訪問中とのこと。こうして母親に同伴して、その明るくて可愛い(身長はさすがノルウェー人)雰囲気が空気を和ませ、大いに親しみ易く会話も弾み助けられた。講演では逐次通訳をやる以上、その呼吸合わせが必要と思っていたので、タイミングを捉えて原稿を前に打ち合わせも出来た。講演会場は田母澤旧御用邸記念公園研修ホール。時間が無いスケジュールだったので昼食はすぐ近くの蕎麦屋さんを選んだが、内容は別として、場所はベストだったと思う。彼等は金谷ホテルから朝は山内を散策、そのままこの蕎麦屋まで歩いて見えた。
さすがノルウェー人である。

いよいよ会場へ。まず、小一時間夫が田母澤御用邸内を案内。その間、私はホールに入り、会場の設営や受付のチェックをしながら仲間とコミュニケーションを取る時間があってホットする。会場設営は見事に整えられていた。80名の集客予想が100名に達し、補充の椅子の用意なども準備。1時45分頃、一行がホールに到着。それまでに殆どの参加者は椅子に座って、用意されたノルウェーの映像とBGにはペールギュントを流して待機。夫が
先に会場に入って招待客に挨拶。その間私は大使と令嬢に用意されたお茶を。そして5分前に会場入り。いよいよスタートとなる。

あとは入念に用意されたMCマニュアルに沿って、流美子さんが見事に指揮って下さった。ご主人が器機を自ら担当して下さり、福田ご夫妻の絶大なご協力があったからこその大盛況なる結果となったと言える。

逐次通訳も何とか、とにかく日本語をしっかり分かり易いように言わなければとの思いは忘れずに出来たと思う。続く講演後のQR時間にも立ち会って、和やかな雰囲気の中で出来た事が一番良かったのではないかと振り返って思っている。

二日目は奥日光、アルトリアでのクロカン決行。前日もそうであったが、当日も最高の天気に恵まれ、雪のコンディションも最高。白銀の世界に舞い込んで、約20名の参加者が笑顔で滑って2時間弱の朝の時間をノルウェー大使とともに滑った経験は最高の思い出作りになったのではないだろうか。私は参加された佐藤洋さんと一緒に雪遊びに来たアンナちゃん(1.5歳)と響子さんとお喋りしながら、アンナちゃんを橇に載せて動き回りながら素晴

らしい時間を過ごすことが出来た。スキーヤー達が、時間内に存分に滑り、それぞれ明るい喜びの顔で戻って来た時は、良かった!と叫んだ。皆で大使と令嬢を囲んで、一緒にアストリア内のレストランで昼食をいただき、厳選した5名には大使館からの小さな風呂敷と参加賞を贈呈。

大使と令嬢は1時半に栃木さんの運転で、風間さんがアシストして東武日光駅へ。又お会いできることを確信して無事にお見送りすることが出来た。 Good Job!!